カテゴリ:直美先生( 24 )

「詩ノート」より

         無題


子どもたちを育てていたつもりの私が

子どもたちに育てられていたということを

今 しみじみと思うのです。
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by chilinh | 2007-10-31 00:01 | 直美先生

「詩ノート」より

          ストレス


「七ヶ月入院してて、直美さんはどうしてストレスがたまらないの?」

と ベテラン看護婦の山本さん。

「ストレス、ないねー。」

「ストレスのたまった患者さんは、がんばりましょうねとしか言えないし、たいへんよ。」

「私はここにいたら、苦労することもないし

失敗することもないし、おこられることもないし、

働いてるより楽やね。」




それに言い忘れてたけど 山本さん

子どもたちに

「だめと思ったときが、人間だめなんよ。

世界中の人がみんなだめと思っても

先生は、あんたはぜったいできると信じとうよ。」

と がんばってきた。

とびばこ

さかあがり

かけ算  マラソン  ・ ・ ・ ・
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by chilinh | 2007-10-30 00:01 | 直美先生

「詩ノート」より

             中尾先生


私は20年、直美さんは50年 生きよう

中尾先生からの葉書にいつも書いてある。

50年!

84才の私


先生 あの時は苦しかったね

先生は37kgまでやせて

抗癌剤の副作用で物が食べられず

それでも200種類のおりがみおって

科学的社会主義者らしく がんばり通したね


直美さんも熱を出したり 輸血をしたり

腕は針が入らなくなるくらい点滴をうけ

それでも明るくがんばったね



中尾先生、 いつかこんな話ができたらいいですね。
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by chilinh | 2007-10-29 12:35 | 直美先生

「詩ノート」より

        日曜日


菜摘が来たら食べさせようと

1つぶ ちり紙につつんでおいた

いちご

今日は来ないみたい

ちり紙をあけて  いちごとにらめっこ

赤くて  きれいで  かなしくて

またつつんで  なおした (※仕舞ったの意味)
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by chilinh | 2007-10-28 00:01 | 直美先生

「詩ノート」より

          行きたいところ


ちひろ美術館

わらび座のお正月

ヒロシマの原爆ドーム

沖縄の戦地跡

東京の美術館や前進座の劇場

12月には菜の花でいっぱいだという開聞岳

ナガサキは永井博士の家



菜摘と行きたかったところは かず限りなくあるけれど

連れだってそばを歩くのは

私でなくてもいいのです。
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by chilinh | 2007-10-27 00:01 | 直美先生

「新卒の年の実践報告」 その6

八、これからのこと

三学期になったらすぐ、文集の中のA君の作文を、子どもたちや親が読むことになるのですが、そのままのせていいものか、もう一度書き直しをしなければならないものかわかりません。多分このまま文集にするだろうと思います。
A君のことをまとめ、A君の書いたものを一つ一つ読み返してみると、やっぱり少しずつ書けるようになっています。それは、単に文章がうまくなったということではなく、学校が楽しくなったからだろうと思います。ともすれば ”ちょっとがんばっていると思ったら、また宿題をしてこん、忘れ物をする・・・・”というのでがっかりしがちだけど、やはり、子どもの伸びている面にこそ目を向けることが必要なんだと感じています。
おとうさんの作文を書く中で、だいぶA君と話したので、おとうさんのこと、おかあさんのこと、にいちゃんのこと、いろんなことがわかりました。そして、「先生の家もたててやるよ。」「わー、それじゃあ、いっぱいお金ためて待っとかんといけーん。」「ただでいい。」と話したことが心に残っています。このごろ、”もっと書けてもいいのに、もっとできてもいいのに” という目でA君を見ていたので、がっかりすることが多かったけど、話す中で、ありのままのA君を受け入れていける気持ちになりました。
子どもたちに教えてもらうことばかりの今日までだったけど、三学期は生活作りとともに「ひとまとまりの作文」を、月毎の計画を立てて、しっかり書かせていこうと思います。
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by chilinh | 2007-10-26 14:51 | 直美先生

「新卒の年の実践報告」 その5

(五、もっと書けるように)
A君がもっと長く書けるように指導。実践は、語彙を増やすため しりとり、お話を読む、歌をうたう、など。
                ・・・・・・・・・

(六、書くことを中心に据えて)
 ”長い題をつけて書きましょう”と、日記を毎日書くことを徹底し、ねうちのある生活をするようによびかけたり、班の目標を決めたり、全員長なわとびをする、というめあてに取り組んだりしました。A君には新しい日記帳を一冊与えました。

                 ・・・・・・・・・
 
※五、六は、子どもたちの作品が多く紹介されているためここでは省略しました。(チリン)
                     

七、おとうさんのことを書く

A君は、一学期の頃から 私や友達に「ぼくおとうさんおらんのよ、しんだもん。」とよく言っていました。私は 何と答えていいかわからず、”いつかは書かせなければならない”と思いながら、なかなか機会を見出せずにいました。そんな勇気も出てきませんでした。

けれども、A君の生活を見ていると 気になることがありました。それは、遊びの中や生活の中で、学級の子どもたちがA君に接するとき、いろいろ教えてあげたり、助けたりしている様子に、何か表面的なものを感じるのです。もちろん、その時々で子どもたちは真剣なんだけど、必然性がないのです。それまで「○○ちゃんはできるはずがないよ。」で すましてきたのですから、半年やそこらで、しんから友だちを思いやる子に育つ というのも無理な話でしょう。だけど、A君の書いたものを通して、A君の生きざまや悲しみを共感し、いっしょに伸びていく仲間として受け入れることが、まわりの子どもにとっても大切だし、書いたA君にとっても大きな前進になると思いました。

また、九州教研大会のとき「母親のいない子に母親を書かせることの是非」が問題になりましたが、その中で、提案された先生が、次のように言われました。
「この子に母親のことを書かせるのは、とてもつらいことです。けれども、この子は書かずに大きくなってしまったら、母親のことを忘れてしまうでしょう。私はこの子にとって、母親を忘れてしまうことの方が、もっともっとつらいと思って この作文を書かせる決心をしました。」

私は、この言葉が心に焼きついていたし、A君にも「ぼくのおとうさんはこんな人だった」という作文を期待していました。A君も、だんだん心が落ち着いてきて、しかも 少し父親のことをおぼえている今 書いておかなければ自分の目で見た父親というものを、どんどん忘れてしまうでしょう。
しかし、最終的に、A君が書き上げたものは、そういう回想的なものではなくて、「ぼくは、おとうさんと同じように だいくになるんだ。」という叫びだったのです。その作文を読んで、また一つA君に教えられました。子どもは強いんだなあ、子どもを見くびっちゃいかん、と反省したり、そのたくましさに驚いたりしました。

※A君は、原稿用紙一枚分くらいの作品を書いています。「おとうさんのようにだいくになる!」という思いがノートいっぱいに書かれていました。(チリン)
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by chilinh | 2007-10-25 20:34 | 直美先生

「新卒の年の実践報告」 その4

四、がんばる生活

五月十一日、二回目の班がえをしました。一番に指名されて一番になりました。今度の班長は底抜けに明るい、のびのびとした女の子です。クラス一のおてんばで力持ちです。そのころ私は、何かできない子やおくれている子を放っておくと、まわりの子や班長を責めました。そのかわり、いっしょになって遅れた子にとりくんだり待ったりしていきました。A君も勉強が楽しくなった様子でよく発表しました。

漢字10だいテストをみんなが100点をとるまで、ということで、毎日していました。A君はなかなか100点をとれません。まわりの子も本人もとれるとは思っていなかったかもしれません。班の人が一生懸命になって、本人がやる気を出して、点数が上がってきました。

五月二十日、とうとう100点。四時間目にテストをしたので、給食の時間に日記を書かせて、すぐに「なんきち号」No.30にのせました。他の子もA君のがんばりに目を向けはじめました。

班の中でも、よく発表したり積極的になりました。日直などするときも、「A君がしよう、しようって言うんよ。」と班長が報告に来るほどになりました。その次からの漢字テストでも、よく練習してきて100点をとれるようになりました。

体育ではさかあがりに取り組んでいました。できない子が34人中10人以上いました。
一時間目は 押したり、引いたりするけど、一人もできるようになりませんでした。
中尾先生の言う科学的なてだてをつくしていないのでは と思い、よっぽど電話して教えてもらおうかと思ったけど、まず自分でがんばってからと思い、帰っていろんな本を探したり、考えたりしました。ちょうど「子どもと教育」No.14にさかあがりの指導は ”とにかく、足を 前にではなく上にけりあげるようにしてやればできる”ということが書いてあったので、ふみ台とふみ板を使って上にけりあげやすいようにしてやってみようと思いました。
そして次の日・・・・・・

四時間目、いよいよ体育です。「今日はぜったいにさか上がりができるようになるしかたを考えてきたけねー。」と朝から言っていたので(楽しみで、だまっていられなかったので・・・)子どもたちは「さあ、たいいくだ。」とばかり運動場にとび出しました。そして40分。
次々とさか上がりができていく子どもたちを前にして、私のほうがアゼンとしました。本当のことを言って、その時までは「すべての子が科学的な手だてをつくせば、かならずできるようになる。」ということを福岡県作文の会の先生の実践などを見て、知ってはいたし、信じていたけれど、まだ心のどこかで疑っていたのでしょう。「○○先生はなんであんなに子どもを信じられるんやろうか。」と、自分のほうが年寄りみたいな気持ちがしていました。そんなものが全部ふっとんでしまいました。

A君は、心臓が悪いということで運動から遠ざかっていたためか、運動のほうもあまり得意のようではありません。さか上がりもできませんでした。もう一人 はりきり屋の女の子がさか上がりができず、二人でがんばっていました。班の子と考え出したのが、5メートルくらい前から走ってきて、ふみ台を強くけるのです。ぶつかりそうで、私は「やめり、やめり」と言ったけど、その仕方ですると、クルッと回れそうになるので、しきりにやって、とうとう二人ともできるようになりました。
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by chilinh | 2007-10-24 00:01 | 直美先生

「新卒の年の実践報告」 その3

三、書く生活のはじまり

四月十七日、はじめて日記を書いてきました。

    四月十七日
    きょうは一じ三〇分からねました。
    アンマキでかたをもみました。

たったそれだけの日記だけど、よく聞いてみると、おとうさんを一年の時になくし、残された三人の兄弟(高一、中一、小三)を、おかあさんが一人で育てているのだそうです。そのおかあさんが、「きつい」と言ってねていたので、A君はいっしょにねてアンマキをかけてあげた、というそんな日記だったのです。

私は、赤ペンを入れました。
”おかあさんが、かたがこったといったので、A君があんましてあげたんだね。おかあさん
とってもよろこんだでしょうね。先生もよくかたがこるんだよ。そしたら あたまもいたくなって、なんにもかんがえられなくなります。そんなとき かたをもんでもらったら、とてもうれしいものね。ときどきせんせいのかたももんでね。
それからね、コーヒーのビンでかたをたたくと とてもきもちいいよ。おかあさんにおしえてあげてね。九九もできるようになったし、はんの人とA君のがんばりのおかげだね。これからも、どんどんいろんなことができるようになろうね。しんちょうものばして、たいじゅうもふやして げんきな子になろうね。せんせい、しっかりみてるよ。”

今考えると、A君は私の返事が読めなかっただろうと思うのです。「からすがかきをくう。」という簡単な文でも、ひろい読みで三回くらい読んでやっと意味がわかる、というくらいのものだったからです。

四月二二日、理科の時間におたまじゃくしの観察をしました。おたまじゃくしに名前をつけたりで観察と言えるかどうかわからないけど、その時こんな観察をしました。

    おたまじゃくし
    
    おたまじゃくしは
    けつもおよいでいる。

詩だと思いました。ことばが光っています。すぐその日の「なんきち号」No.13にのせました。こんな評をつけました。 ”おたまじゃくしがおよいでいる様子をじぶんのことばでよくとらえているね。みじかいけど詩だと思うよ。ホームラン賞だぞ。”
帰りの会の時、A君が読み、そして私が読んで一生懸命ほめたけれど、他の子はキョトンとしていました。「こんなみじかい文のどこがよくて、先生はほめるのだろうか。」という顔でした。
このとき、A君を育てるためには、まわりの子を変えないといけないのだ、ということを痛感しました。


                    ・・・・・・・・・・・ 
 
 
       ※このあと、詳細な実践報告が続きますが、省略しました。(チリン)
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by chilinh | 2007-10-23 00:01 | 直美先生

「新卒の年の実践報告」 その2

二、A君のこと

四月九日に班づくりをしました。「男三人、女三人で好きな人と集まってつくる」というつくり方でした。A君は、なかよしの友だちがいないらしく、もう一人あまった子といっしょに三ばんになりました。いつまでたっても日記を書いてくれない子の一人でもありました。

四月の中旬に、「さんすうのびょうきしらべ」をしました。九九やたし算、ひき算のたしかめテストです。A君は九九をほとんど忘れていました。たし算、ひき算はできるけれど、確実ではありませんでした。書くことよりも、まずは算数の力をと思い、のこり勉強をはじめました。その時、学校はなんて忙しい所だろう思ったのですが、なんとか週に二回くらい、タイルを使って九九を練習しました。A君を含めて三人の子が主にのこりました。A君は、九九で、たとえば8×6がわからないとき、真剣な顔をして、額を机にくっつけるようにしてタイルを数えるのです。その目や、ぶつぶ言っている口を見ていると、私は心からこの子に学力をつけてあげたいと思いました。一年の時にした知能指数の偏差値は二十そこそこで「特殊学級に入れる対象」となる子だったのだけど、私は タイルを数えるA君が目にうかび、この子の智恵はおくれていないと信じることができました。そして、私のがんばりのバロメーターをA君に置こうと決めました。それから、A君は、わからなくても教えてもらえる、叱られないという安心感のためか、私が若いためか知らないけど、クラスの中でよく動くようになりました。図工の時間に絵の具バケツの水をこぼすと、とんでいくのはA君でした。
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by chilinh | 2007-10-22 00:01 | 直美先生