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「新卒の年の実践報告」 その5

(五、もっと書けるように)
A君がもっと長く書けるように指導。実践は、語彙を増やすため しりとり、お話を読む、歌をうたう、など。
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(六、書くことを中心に据えて)
 ”長い題をつけて書きましょう”と、日記を毎日書くことを徹底し、ねうちのある生活をするようによびかけたり、班の目標を決めたり、全員長なわとびをする、というめあてに取り組んだりしました。A君には新しい日記帳を一冊与えました。

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※五、六は、子どもたちの作品が多く紹介されているためここでは省略しました。(チリン)
                     

七、おとうさんのことを書く

A君は、一学期の頃から 私や友達に「ぼくおとうさんおらんのよ、しんだもん。」とよく言っていました。私は 何と答えていいかわからず、”いつかは書かせなければならない”と思いながら、なかなか機会を見出せずにいました。そんな勇気も出てきませんでした。

けれども、A君の生活を見ていると 気になることがありました。それは、遊びの中や生活の中で、学級の子どもたちがA君に接するとき、いろいろ教えてあげたり、助けたりしている様子に、何か表面的なものを感じるのです。もちろん、その時々で子どもたちは真剣なんだけど、必然性がないのです。それまで「○○ちゃんはできるはずがないよ。」で すましてきたのですから、半年やそこらで、しんから友だちを思いやる子に育つ というのも無理な話でしょう。だけど、A君の書いたものを通して、A君の生きざまや悲しみを共感し、いっしょに伸びていく仲間として受け入れることが、まわりの子どもにとっても大切だし、書いたA君にとっても大きな前進になると思いました。

また、九州教研大会のとき「母親のいない子に母親を書かせることの是非」が問題になりましたが、その中で、提案された先生が、次のように言われました。
「この子に母親のことを書かせるのは、とてもつらいことです。けれども、この子は書かずに大きくなってしまったら、母親のことを忘れてしまうでしょう。私はこの子にとって、母親を忘れてしまうことの方が、もっともっとつらいと思って この作文を書かせる決心をしました。」

私は、この言葉が心に焼きついていたし、A君にも「ぼくのおとうさんはこんな人だった」という作文を期待していました。A君も、だんだん心が落ち着いてきて、しかも 少し父親のことをおぼえている今 書いておかなければ自分の目で見た父親というものを、どんどん忘れてしまうでしょう。
しかし、最終的に、A君が書き上げたものは、そういう回想的なものではなくて、「ぼくは、おとうさんと同じように だいくになるんだ。」という叫びだったのです。その作文を読んで、また一つA君に教えられました。子どもは強いんだなあ、子どもを見くびっちゃいかん、と反省したり、そのたくましさに驚いたりしました。

※A君は、原稿用紙一枚分くらいの作品を書いています。「おとうさんのようにだいくになる!」という思いがノートいっぱいに書かれていました。(チリン)
by chilinh | 2007-10-25 20:34 | 直美先生
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